深呼吸クラブ・ヘッドメニュー
 
圧倒的な無の世界


エッセイに関係する映像です

 私は子供のころ、宇宙空間から眺めた地球の映像がとても好きだった。宇宙空間から眺めた地球は、暗黒の闇に浮かぶ命の海のようであった。
 そんな美しい地球の命の鼓動を、私たち人間は不意に感じさせられることがある。それは、火山の噴火や地震であったりする。平穏な日常生活の中ではなかなか地球の命の鼓動は実感できないが、確実に私たちの星・地球は生きている。
 数年前、幸運にも地球のテッペン・北極点にわが足跡を残す旅に出ることができた。興奮に包まれながら乗り込んだ飛行機。窓の下の北極海の上には、無数の巨大な氷原帯が延々と連続していた。その氷原帯同士がぶつかり合い、接触面には、白い牙のょうな氷塔が一列に並んでいた。
 ブリザード(雪嵐)でも吹いているのか、わずかに見える海表面は、白く霞んでいた。これから進む北の空は、鉛を溶かしたような不気味な色をしていた。
 思わず私は、パイロットに「針路は南!」と叫びたくなっていた。やがて、限りなく計測機が北緯九十度に近づいてくると、機体は何度も旋回を繰り返しながら高度を下げてゆき、急に「ガガガ、ゴワゴワ、ガガガー」という音響が絶対的な静寂世界にこだました。
 地球最北地点に到達の瞬間である。ドアを開け、まるで人類最初に月面に降り立った宇宙飛行士のように、私はスローモーンョンで最初の一歩を降ろした。
 音は全く無い、色は「白」のみの世界が私を待っていた。自分が立てる「カリカリ」という氷上での足音だけが鼓膜を震わせていた。圧倒的な無の世界は、己の体に実感がもてず、人間としての存在が、薄く危うくなってしまう。
 約一時間の滞在後、小型飛行棟のプロペラが再び回り始めた。発進直前にコックピットからパイロットが振り返った。「到着地点から四キロ移動しているぜ」。飛行機の計測機による換算では、私たちは一時間の滞在中、成人が歩くスピードで移動していたのだった。北極点は海に浮かぶ巨大な氷塊の集まりである。地球のテッペンでは、巨大な氷塊の集まりが、音もなくゆるやかに動いている。
 日々の生活の中で精神的に疲れると、私はこの一時間のことを思い出す。静かな地球の鼓動を実体験した一時間は、私にとって心の清涼剤になっている。

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