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人生のガイドブック


エッセイに関係する写真です

 私が初めてアジアを旅したのは十八歳の頃。一九七〇年代の後半だった。一ドルがまだ三百六十円の時代で、当時、アジア方面への旅のガイドブックはほとんどなかった。
 当時の若者たちは、手さぐり状態の中、旅の先輩からの話に真剣に耳をかたむけた。ある土地にたどり着けば、まず貧乏旅行者の溜まリ場である木賃宿へと足が向く。
 そこは、東から来た旅人、西から来た旅人の束の間の休息地。旅の途上の止まり木に宿る渡り鳥たちは、お互いの情報を交換しあう。
 旅のスタイルもごった煮の様相であった。学生運動に挫折し、各地を放浪する三十歳前後の人は、薄暗い土間で難しげな哲学書を読んでいた。
 アジアで一旗あげたいと、雄飛してきた二十代半ばの青年は、日本の常識が通用しない世界に、怒りと戸惑いと苛立ちの表情を見せていた。半年間、肉体労働をして資金を稼ぎ、あとの半年は世界各地を貧乏旅行している目焼けした四十代のオジサンもいた。

 まだ青白き十代後半だった私は、混沌とした場末の一室で、壁をはうヤモリの姿に自分を投影していた。ガイドブックがない世界には、腸がよじれるくらいの不安と、米粒くらいの解放感とが同居する。言葉がほとんど通じない異国で不安に苛まれる自分の気持ちを、なんとか奮いたたせようとする旅人たち。
 すえた匂いのする薄暗い階段の踊り場で情報を交換し、真剣にメモをとる旅人の姿はもう遠い過去の話になっている。昨今アジアを旅する若者は、同じガイドブックをマニュアル本のように小脇にかかえている。旅のスタイルや程度差もなくなりつつあるようだ。
 ガイドブックは、夢やロマンヘのモチベーション、そして感動を呼び起こす情感といったものまで教えてくれる。
 でも何かおかしくないだろうか。旅とは本来「行きたい」「知りたい」という好奇心に突き動かされた行為のはず。ガイドブックで知識を頭に入れ、現地でその通りであることを確認するだけでは満たされないだろう。朝、ボストの中に新聞が入っているのは予想できるし、安心もする。しかし心がときめくのは、ある日、予想していない人からの手紙が入っていたときなのである。
 人生にガイドブックはなく、一日が終わるごとに、自分の足跡を残したページを重ねるしかない。明日のぺージは白紙だからこそ面白いと思うのだが。

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