深呼吸クラブ・ヘッドメニュー
 
空想の世界へ


エッセイに関係する映像です

 アンデス山脈の深い渓谷の下では、アマゾン河に注ぐ濁流が渦を巻いていた。
 山肌につけられた、つづら折の道をバスが喘ぎながら上ってゆくと、その遺跡は山の頂に忽然と姿を現した。ペルーのマチュピチュ遺跡。訪れたとき、遺跡が残る山全体は、流れる雲に霞んでいた。峡谷からは絶えず風が吹き上げ、流れる雲の間から石積みの住居跡などが垣間見えた。まさに空中都市遺跡の名がふさわしい景観だった。遺跡の中を歩きながら、私の頭は謎で一杯だった。
 「神と交信するために、山の頂に生活空間を求めたのだろうか」「生活のための水はどうしたのだろうか」次から次へと疑問が湧いてきた。おそらく、疑問への答えはすでに分析され、解説書に記述されているだろう。

 でも、私はあえて自分だけの空想の世界に、しばし心を遊ばせていたのだ。私は、旅のときでも日常生活でも、この空想の時間を大切にしたいと思っている。先日、休みの日に庭の池でカメを見ていたら、息子から質問攻めにあった。「どうして足を互い違いに動かすの」「カメのしっぽは、なんで短いの」「じっとして、何を考えているのかな」「動きが少ないから、長生きするの」

 素朴な疑問に即座にいい返事が見つからず、ウーンとしばらくうなっていた。
 あわてて本を探し、そこに書いてある答えを、棒読みすることもできたかもしれない。しかし、私はそのときも子供と一緒に空想の世界へ旅立つ言葉を探していた。現代の生活は、日常の隅々まで情報が溢れている。子供の素朴な疑問にも、パソコンでキー操作すると、短時間で科学的な答えを引き出すことができる。しかし豊富な情報がある生活は楽で便利だが、自ら考えることなく、解答を性急に求めてしまいがちになる。

 空想は、自分勝手な想像の世界であり、正解を求めるためのものではない。だからこそ、日常の生活の中に自らの力でファンタジーの世界を作り出せるのだ。子供にとっては、毎日が謎や不思議に満ちた時間なのだろう。そんな彼らは、自分だけの小さな発見に驚きの表情を隠さない。そんな,子供とともに、休日の昼下りは空想の世界へと旅立ちたいものだ。

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