深呼吸クラブ・ヘッドメニュー
 
やすらぎのホタル


エッセイに関係する写真です

 六月のある夜のこと。家の庭先に蛍が飛んできた。ほのかに点滅する光が、六歳の息子の手のひらに包まれながら、家の中にそろりと入ってきた。急いで、家中の明かりを消した。家族みんなの目がその光へと注がれた。小さな手の中で点滅する光により、息子の何ともいえない穏やかな表情が浮かび上がっていた。蛍の光とともに、家族が共有できる「やすらぎ」の時が点滅していたように思う。

 やすらぎの光には、別の思い出がある。コルカタ(カルカッタ)からバナラシ(ベナレス)へと向かう夜行列車の中で、一人旅の私はとても心細かった。二等客車には、これでもかといわんばかりの人、人。客車のデッキや屋根の上にも黒い人影がうごめき、途中駅では、窓から人が出入りする。客車の中では、人に足や背中を踏まれながらも平然と食事をしている家族もいる。大きなザックを抱えながら、身動きひとつできない状態で、私は通路の片隅で緊張していた。トイレにでもいくと、二度と自分の座るスペースが確保できないのである。
 外国人は私ひとり。客車中の視線が体の隅々にまで降り注いでいるのがわかる。それも暗闇の中で。うとうととし始めたとき、客車の中がザワザワとした。全員が窓の外を見ながら、「ホー」「ウーン」といっている。首をひねって外を見てみると、そこには点滅する光のクリスマスツリーがあった。「蛍の光だよ」と乗り合わせたインドの学生が教えてくれた。何千、何万匹もの蛍が二十メートルを越す大木の枝々に集まり、集団発光しているのだ。クリスマスツリーの豆球のように、規則正しく明滅しながら。このような蛍の集団発光は、熱帯アジアにはよく見られる現象らしい。源氏物語や伊勢物語にでてくる日本の蛍のこまやかな情感は感じられない光景だ。

 明滅する光に圧倒されながらも、私の心は妙にやすらいでいた。人々の顔にも、なんともいえない和やかさが漂ってきたようだった。しだいに私の体と心の緊張の糸がほぐれはじめ、ザックに顔を埋めながら夢の中へとはいっていくことができた。赤提灯やネオンの光になびき、止まり木でストレスを発散するばかりでなく、月や蛍など自然の光によって、やすらぎの灯を心に点す時間をもちたいものだ。

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