深呼吸クラブ・ヘッドメニュー
 
草原での酔夢


エッセイに関係する写真です

 一度だけ、海外の地酒に酔って、私の記憶と意識が飛んだことがある。チンギスハンの末裔が住むモンゴル草原。内モンゴルのパインホソという草の海に浮かぶ小さな村を訪れたときだ。自治区の区都フフホトから車で延々と草原の中を四時間の旅。騎馬民族が馬で駆け回っていた頃のことを思いながら窓外の景色を眺めていた。遊牧民の生活は、家畜の牧草を求めて移動を繰り返す。居住する家屋も移動に適したパオと呼ばれる簡易組み立て式になっている。パインホソに到着し、われわれがそのパオに旅装を解いた日の夜、村長が主催する夕食会があった。串刺しになった羊肉や馬乳酒など、素朴だが力強い草原の味覚の数々がテーブルを賑わせていた。

 遊牧民たちは、遠来の客人に対して、最大限のもてなしをおこなう。草原や砂漠などで移動を繰り返す彼らにとって、家族や一族以外の人たちとの出会いは非常に少ない。それだけに、訪れた客人へのもてなしには、心の贅をつくすのだ。アラビア砂漠の遊牧民は、訪れる客人へ貴重な水や食料を惜しげもなく分け与える。その分、自分が客人となった場合には、遠慮なくガツガツと食べまくるらしいが……。これは、イスラム教の「もてる者は与え、もたざる者は与えられる」という至極シンプルな教えにもとづくもてなしのあり方。

 モンゴルでのもてなしは、草原の広がりを思わせるような、酒のすすめ方にあらわれる。火を近づければ、コップの中に炎が広がるくらいのアルコール度数の高い酒がでる。この強い酒を彼らはチビチビと飲んだりしない。主人と客人が立ち上がり、杯を掲げる。そして、主人は草原に伝わる民謡を声高らかに歌う。歌い終わると両者が杯を一気に飲み干す。一滴も残っていないことを証明するために、両者は頭の上で杯を逆さにしなければならない。

 次には客人の番である。私は黒田節を歌い、二杯目を一気に飲み干した。この繰り返しが延々と続いてゆくのである。四杯目くらいから、私の意識は薄れ始めた。それから、野外のトイレの側で同行者に起こされるまで記憶が飛んでいる。トイレの側で倒れている間、心のスクリーンでは草原を疾走している馬上の私がいたに違いない。モンゴル式のもてなしは、草原での酔夢まで私に与えてくれたのである。

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