深呼吸クラブ・ヘッドメニュー
 
命の旅路の添乗員


エッセイに関係する写真です

 海外の山岳・辺境地帯への旅にも「自由行動」という時間が設定されているものがある。自由行動日の朝…。朝食のテーブルで仲間と楽しく談笑しながら、買い物リストを見せ合う人がいる。コーヒーを飲みながら見残した観光スポットヘの行き方のガイド文を読む人がいる。知り合った現地の友人が訪ねてくる時間を気にしている人がいる。ところが、ウキウキしながら食事をしている女性陣の傍らで、男性参加者の多くは苦虫をかみつぶしたような顔で、物憂げにナイフとフォークを動かしている。これから行動する自由なスケジュールが、彼らにはないのである。まるで宿題を忘れてきた小学生のように、肩がショボンと垂れている。

 日本でも、山歩きの最中に中高年女性の二、三人連れとよく出会う。快活な会話と笑い声が木々の中に響いている。仲良く歩き、楽しく笑い、そしてよく食べる…。中高年女性のもつエネルギーは、自宅、地域社会から山歩きや旅の現場まで幅広く噴出している。それに比べて、男性たちのこの姿。肩書きや帰属組織という庇護の外に出たときの自己決定能力のなさが、白日の下に晒される。価値観の異なる海外での自由行動日。男性の多くは、バザールを横綱のように闊歩する大和撫子軍団の露払い役か、買い物カゴ持ち役に甘んじている。
 ささやかな抵抗として、ホテルやテントでの終日籠城を決め込む人もいる。しかし、ホテルのプールサイドで日光浴や読書を楽しんでいる姿は今まで一度も見たことがない。

 人生の折り返し点をタッチした後の大和撫子たちのパワーの源泉は、子宮で体得するある感覚ではないだろうかと私は思う。自分の体の内部で育む小さな生命の灯。女性は十ヵ月にわたり、誕生への命の旅路を子宮から体得する。誕生後も、子供の成長の旅路は続き、わが子が空へ羽ばたくまで、命の旅路の添乗員となる。添乗員の目線は、日々の生活に根差している。ヒマラヤを歩いていても、目線の高さは、現地の人たちの生活レベルに設定される。ヒマラヤの高峰群も生活舞台の大きな背景画でしかない。海外のバザールで買い物をするとき、値段の交渉を堂々と日本語で渡り合う大和撫子たち。その後ろ姿に私は圧倒されると同時に、軽い敗北感すら覚えている。

深呼吸クラブ・デコレーション