深呼吸クラブ・ヘッドメニュー
 
蜃気楼とオアシス


エッセイに関係する映像です

 「空に飛ぶ鳥なく、地に走獣なし」と表現されたタクラマカン砂漠。一度足を踏み入れたら二度と出てこられない、という意味のタクラマカン砂漠は中国の西域地方にあり、その縁をシクルロードが走る。幾つかあるシルクロードのルートの中で、一番過酷な西域南道を四輪駆動車で走ったことがある。右手に崑崙山脈、左手にタクラマカン砂漠を見ながら疾走していた車が、突然の突風による砂嵐に巻き込まれた。細かい砂の粒子は灰色のベールとなり、進行方向を覆った。車内には、容赦なく砂塵が舞い込んでくる。そのときに私は、不思議なものを見た。舞い散る砂塵のかなたに、ユラユラと揺れるオアシスの影……。一瞬であったが確実に見たのである。地図で確認すると、見えるはずのないオアシス。蜃気楼だった。既に幾日も砂漠の旅が続き、私は疲れていたのかもしれない。昔の紀行文では、人や動物の屍が道標となったと書いてあるくらい、砂漠の旅は厳しかった。彼らも、同じ現象に出合ったかもしれない。吹き荒れる砂嵐に身を潜め、揺れるオアシスに一縷の希望を託したのではないか…。

 私は、日常生活で辛いことや苦しいことがあったときに、砂漠で見た蜃気楼のことを思う。人生においては、嵐に身を伏せ、苦難の瞬間をやりすごす時期もある。三十五歳のときがそうだった。勤め帰りの満員電車の中で、ふと窓に映った自分の生気のない顔。来年も、私はこんな顔をして年をとっていくのだろうか…。会社を辞めようと決断した。しかし妻子を抱えて食べていけるのか、次の仕事(鍼灸師)の見通しはあるのか…、その混沌とした頭の中で見ていたのが砂漠の蜃気楼だった。

 家族の死や受験の失敗、不条理なリストラ、嘲笑やいじめなど、人生の中では嵐に身を伏せる時期がある。中高年や若年層の自殺者の数が増えているというのは、心の砂漠に吹き荒れる嵐に耐えられなかったからだろう。でも強い嵐に身を伏せながらも、蜃気楼の中で揺れる小さな心のオアシスを見つけることができたら、一瞬でも楽になれる。そのうち嵐は弱まり、いずれ去ってゆくのは間違いないのだから。嵐が強くなればなるほど、蜃気楼の中で揺れる、希望という名の小さな心のオアシスを見つけたい。

深呼吸クラブ・デコレーション