深呼吸クラブ・ヘッドメニュー
 
歩き方ウォッチング


エッセイに関係する写真です

 海外を旅するとき、ヒマにまかせて、人の歩き方を観察している。歩く姿はその人を映し出す。生活背景まで、おぽろげながら読み取れることもある。

 アジアの農村部の女性は、上半身をあまり揺らさずに、外股でドッシリと歩いているようにも見える。子供の頃から、頭に荷物を乗せる姿勢が多かったからだろうか。南太平洋の島々の海辺では、ユラユラと歩く人が多い。まるで波間に揺れる椰子の実のようでもある。ヒマラヤの山岳案内人・シェルパたちは、岩道を駆けるように歩く。まるでカモシカが跳びはねているようにも見える。
 頭にターバンを巻いたシーク教徒の退役軍人は、腰にサーベルをぶら下げながらも、ピンと背筋とヒゲを伸ばしてインドの下町を歩いている。

 生活の背景と人生の歩み方の一端が、歩く姿勢に滲みでてくるのだろう。ネパールに住み、独自の治療法で王族のトレーナーをしている友人がいる。彼は、歩き方からその人の体の歪みが見えてくる、という。健康なお年寄りの歩き方は、見事なまで骨格と筋肉が美しいハーモニーを奏でているように見える。また、美しい仏画や仏像が生まれるのは、描き手の心のバランスが優れているから、とも聞く。しかし、悲しいかな、世界各地の観光地で美しい歩き方をする日本人観光客は少ない。

 空港の免税店で、焦点の定まらぬ目でせわしげに歩き回る人たち。文化遺産の場所では、時計ばかり気にする添乗員の背中を見ながらせかせかと歩く。息はずませながら追いつこうとする土産売り屋も汗だくである。かかとが地面に着かず、なぜかしらいつも浮き足だっている。日常の浮ついた生活姿勢は、思わぬ場面で露呈してしまう。

 私たちは、もっとゆっくりと歩いてみてはどうだろうか。時代の流行や他人の目ばかりが気になる人生の歩み方は、健康的でなく美しくもない。人生を歩むスピードやスタイルは、できるだけ自分自身で決定したいものだ。生きざまという人生の歩み方を測るのは、歩数計ではなく、心のバランス感覚によるのだと思うのだが……。

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