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長寿村の秘密


エッセイに関係する写真です

 不老長寿の里として名高い、パキスタンのフンザ。春になれば、アンズや桃の花が里に咲き、谷が薄ピンク色に染まる。氷河から流れ出す水が勢いを増して、夏が到来する。短い秋の後、足早に冬がやってくる。万年雪を頂くカラコルムの峰々と里の色が、白で溶けあう期間が長く続く。日本の作家・北杜夫が、「白きたおやかな峰」と呼んだディラン峰や、天使の首飾りという意味のラカポシ峰など秀麗な山々が里を取り囲む。フンザは、氷河からの濁流が渦巻くインダス河の上流にある。ガードレールもない目もくらむ断崖絶壁の道を二日がかりで辿り着く。

 ここに生まれ、日本人女性と結婚した私の友人の話である。妻の父親に痴呆の症状が出たとき、彼は初めてアルツハイマーという言葉に接した。百歳以上と思われる老人が多い故郷には、痴呆という言葉がなかったという。確かに、フンザでは年を重ねた人たちをよくみかけた。春の穏やかなひだまりの中で、畑仕事をしていたり、家畜を連れた光景にも出合った。白い家の壁にもたれて、たばこをうまそうに吸っているシワだらけの老人もいた。山あいの小さな谷で、常に土と接しながら、人生を完結させてゆく。ストレスを感じても、大自然という大きなろ過器がそれをこしてくれる。生きてゆく上で、何が最小限必要なのかを選択し終わっている人たちなのだろう。フンザの里を訪れるたびに、私は考えさせられる。

 平均寿命では世界のトップレベルの日本。しかし、心の平穏度という尺度ではどうだろうか。年を重ね、心の汚れをそぎながら枯れてゆく人生観は、日本にもあったはずだ。ストレスをろ過する時間と空間が身近な生活風景の中にも存在していた。生きている人同士が、年齢に関係なく、おもいやりと優しさ、そして厳しさをもった生活風景。その風景が日本人の心の原風景として伝承されてきたはずである。唱歌などのメロディーで、その原風景に出合ったとき、私たちは自然と涙がでてくる。その涙が、心の汚れを流してもくれる。大事なことは、見失った心の原風景を取り戻すことではないだろうか。

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