深呼吸クラブ・ヘッドメニュー
 
安定した風景


エッセイに関係する写真です

 「とても安定した風景ね……」と彼女はつぶやいた。

 われわれは、今にも暮れようとする南国の島にいた。パンクの修理に時間がかかったバスは、目的地の町へと砂埃をあげながら走っていた。窓の外にはインドネシアではどこでも見られる田園風景が広がり流れてゆく。南の島は、暮れゆくと同時に風の温度が急降下し、一気に寂寥感が押し寄せてくる。われわれの目には、スラウェシ島の農家が映っている。農家の屋根からは、夕餉の煙が立ち上る。田のあぜでは、農作業を終えた主人らしき男が、鍬を水で洗っている。一日の労役を終えた水牛の背中でシルエット像になる、子供たちの姿。家のかたわらで、たばこを吸っているおじいさん。かすかに聞こえる女たちの声と食器の触れる音。

 毎日繰り返される農村の夕暮れ時の風景である。インドネシアの田園地帯だけではなく、ヒマラヤの山村で、ニューギュア高地のダニ族の集落で、カンボジアやバンコック近郊での農村など、この夕暮れ時に似た風景を見た。「安定した風景」と言った旅の同行者は、都市計画にも見識をもつメディア界のキャリアウーマンのはしりのような人である。世界の都市から僻地まで旅を続ける彼女の言葉は、なぜか今でも私の心に響いている。

 思い出してみると、私の子供時代には、このような夕暮れ時があった。高度経済成長期の日本の田舎には、まだ一幅の絵のような夕暮れ時の風景が残っていた。なぜかしら寂寥感が漂うが、同時に一日の充足感も感じられる時間と空間。子供は、明日の事など関係なく、晩ご飯のおかずのことだけを考えていた。大人たちも背筋を伸ばしながら粛々と一日を終えていた。家族の小さな幸せが、夕餉の煙に混じって夕焼け空に漂っていたように思う。

 さて現在。物質的には豊かになり、一見平和そうに見える。しかしその背後には、心の内戦が見え隠れしている。大人の醜悪な犯罪や企業戦士の自殺、子供の荒れなど、暗いニュースが流れない日はない。職場や学校、台所からも見えないため息が漏れている。私たちは自らの心に、安定した夕暮れ時の風景を取り戻す作業を忘れがちだ。その作業は、旅という非日常の空間にわが身を放り出して、そこから自分を見つめ直す中でこそ可能なのかもしれない。

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