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雪男の真実


エッセイに関係する写真です

 西暦二〇〇〇年末、ヒマラヤで世紀の節目を体感する旅に出た。同行者とともに、標高三千メートル弱にある飛行場から、テント暮らしのトレッキング(山麓歩き)の旅である。三千五百メートルまで上がった村に滞在した夜のこと。その夜は、満天の星たちが塵の加く空を埋めていた。バッティと呼ばれる街道筋の木賃宿。かまどの周りには、宿の主人夫婦と巡礼の老僧、そして私。

 ヒマラヤには昔から、イエッティ(雪男)と呼ばれる体長三メートルを越す生き物が住んでいるといわれている。私は、雪男の伝説を老僧に聞いてみた。老僧は、低く響く抑揚のない声で静かに語り始めた。「雪男は、森の中に住んでおります。でも誰もその姿を見た人はおりません。昔から、雪男の怒りにふれると、雪崩や山火事などの災厄がおきるといわれています。私は雪男を畏れてもいますし、敬ってもいます……」 老憎が去った後、英語を流暢に話す若い宿の主人は、その話を一笑に付した。現代の教育を受けた彼は、架空の存在である雪男の物語など指先ほども信じていない。しかし、読経のように語る老僧の横顔を見ながら私は思った。この世の中には、人知を越えた不思議な出来事や現象は数多く存在している。森羅万象すべてを人間が理解できているわけでもない。特に自然界には、想像をはるかに凌駕する出来事はいくつもあるだろう……。

 チロチロと燃えるかまどの炎に照らされる老僧の声は、雪男の存在の有無よりも、人間の尊大さや傲慢さをやさしく諭しているように感じられた。雪男の物語のように、世界には昔から語り継がれてきた民話や伝説が残っている。それぞれの話には、人々の素朴な知恵や生活に根づいた教えなどのエッセンスが凝縮されている。現代社会では、そのエッセンスは子供のおとぎ話の中にしか登場してこなくなっている。悲しいことに、大人たちは日々そのエッセンスを忘れがちな生活をおくっている。

 世界に残る民話や童話は、自然界の一員として生きる人間の心の闇の部分に、チロチロと灯るかまどの炎のようなものである。闇に灯る小さな炎であるからこそ、いかに伝承してゆくかを考えなければならない。

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