深呼吸クラブ・ヘッドメニュー
 
五感で磨く感覚


エッセイに関係する写真です

 グリーンランドで犬ぞりに乗ったときの話である。十頭もの大が引っ張るソリは、時速三十キロくらいだったろうか。極地用の防寒具の繊維の隙間からは、肌をさすような寒風が容赦なく入り込む。犬が後ろ足で舞い上げる雪煙が目に入り、伏せた顔も凍り付くようだった。ソリの御者台には、イヌイット(エスキモー)の四十代の父親と十歳くらいの息子が乗っていた。父親は「ヒューイー ヒューイー」と声を発しながら犬たちヘムチを飛ばす。父親の横で、息子は頬を真っ赤にしながらもムチを操るしぐさを真似ていた。横目で父親を見る目には、憧憬と尊敬が感じられた。寒風の中、少年は自らの右腕に大人の男としての感覚を覚え込ませているようだった。

 越冬前の十一月のヒマラヤ。家族がひと冬無事に過ごすため、家畜のヤクを一頭犠牲にし、解体する作業を見たことがある。その作業は大人の男たちだけで始まった。大型の牛くらいのヤクを、数人の屈強な男たちがとり囲む。ジリジリと男たちの輪が狭まると、普段はおとなしいヤクも、後ろ足で大地を蹴り上げ、口角から粘液状の糸を垂らし始める。足輪をかけられ、ひっくり返され、断末魔の如く四つ足と角を振り回すヤク。と、一人の若者が右手にナイフを握り締め、仰向けで暴れ回るヤクの懐に飛び込み、心臓に刺し込んだ。体中を傷だらけにしながらも、若者は右手からナイフを難さない。家族以上に時を共有した家畜の最期。泡を噴く口へ、死に水を与える。男の子たちは、その作業が終わるまでを、コチコチになりながら凝視していた。

 過酷な自然条件下での共生は、命をかけた格闘であることを強烈に感じ取っているはずだ。レイチェル・力−ソンは、子供にとって、「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要でない、と語る。教科書などに書かれている文字の知識から、子供が生身の感覚を受け取るのは困難だ。でも自らの五感で感じ取った感覚の記憶はなかなか消えないだろう。子供たちは、大人より研ぎ澄まされた五感で、大人たちの生きざまを見ながら、生きる感覚を磨いてゆく。であるなら大人は、若者や子供に夢やロマンがないと嘆く前に、大人自身の心の素肌を研磨しなくてはなるまい。

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