深呼吸クラブ・ヘッドメニュー
 
歌は魂の言霊


エッセイに関係する写真です

 ヒマラヤトレッキングに女子大生を連れて行ったときのことである。キャンプファイアーの周りを村人や現地の若いスタッフたちが囲む。満天の星空の下、ヒマラヤの白き姿が闇夜にほんのり浮かび上がる。キャンプの灯を囲む人の輪のどこかから、太鼓と笛の音色が流れはじめる。一人がネパール民謡を口ずさむと、すぐに何人もが続く。若く元気のいい男の子が輪の中へ飛び出し、踊りはじめる。宴の幕があがったのだ。

 辺境や秘境の地を旅していると、その土地で歌い継がれてきた土俗の歌に出合う。子守歌、わらべ歌、祝いの歌、田植え歌、祭りの歌、収穫の歌……。
 人々が好んで歌うのは、なんといっても恋や別れの歌、そして故郷を思い出す歌である。ヒマラヤの宴でも、はかない恋やかなわぬ恋、悲しい別れなどの歌詞が、夜のしじまに流れてゆく。歌の伴奏は、粗末な材料で作られた太鼓と笛のみ。しかし歌詞カードなしに全員が一緒に三、四番まで歌いきる。終わるとすぐに誰かが歌い継ぎ、素朴なメロディーが続く。

 しばらくたつと、日本の歌を歌ってほしいとリクエストがはいる。女子大生たちが、相談の上でようやく歌い始めたのはアニメの主題歌……。それも全員が、歌詞を共有しながら歌うのではなく、一番を歌いきるのが精一杯だ。見かねて童謡や唱歌のタイトルを助け舟として出したら、なんと「知らない」「習っていない」との返事が返ってきた。かたや、故郷を思い出す歌を出身地や階級、世代や性別を越えて、みんなで半ば陶酔した面持ちで歌い踊るヒマラヤ山麓の人々。

 私たちはいつから、みんなの心で共有できる歌を置き忘れたのだろう。カラオケでは、友達の歌は上の空で、次に自分が歌う歌を必死に探す。テレビでは、覚えた頃には姿を消しているカタカナとローマ字の若い歌手たちが、早口の歌詞を電気音に乗せている。歌は心の言霊であったはず。悲しさ、苦しさ、いとしさ、やさしさ、夢、希望など心の言霊たち。いま必要とされる歌は、世代間を越えて、心の言霊を共有できる歌ではないか。魂の歌なら、国境を越えて聞く人の魂にも響くのではないだろうか。

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