深呼吸クラブ・ヘッドメニュー
 
季節感の彩り


エッセイに関係する写真です

 私の住む村から広島市内まで、車で一時間で行ける。山里の村から徐々に標高を下げながら市内へと向かう。四季を通じてこのルートは、私にとって季節の変化を肌で感じることのできる道でもある。春のある日、自宅を出発するとき、前の畑では菜の花が朝の光の中で揺れていた。峠にさしかかると、山肌に薄ピンク色の桜の花が点在していた。市内に近い里山では、ツツジの花が咲き誇っていた。駐車場の横の花屋さんの店先では、クロッカスの小さな花が目を和ませてくれた。花だけではない。横断歩道の向こうからは、春めいた服装の女性が軽やかな足取りで近づいてきた。

 これは、エベレスト遠征から一時帰国したとき、ある日の午前中に私が見た風景である。山村や里山、そして街中にも、うららかな陽気と気持ちが漂っているようだった。その一週間前、私は気温マイナス十八度の世界にいた。ヒマラヤの標高五千メートルの地点である。空気は乾燥し、抜けるような青色の空と、照り返す雪の斜面が織り成す強烈なコントラストな色彩空間だ。しかし、見える色はただそれだけだった。私は厳しい寒さ以上に、乏しい色彩世界にも耐えていた。それだけに、柔らかくて多様な彩りに包まれる日本の春の淡い風景は、私の心に染み込んできたのだ。

 日本人は四季を当たり前のように思っているが、多くの場所ではそうではない。ニューギニアのジャングルでは、海のように広がる緑色に圧倒された。シルクロードの砂塵の中では、灰色世界に包まれた。北極点では、人間の存在を溶かすような白色が視野のほとんどを占めていた。外国を旅すると、日本ほど季節のこまやかな節目を感じられる国は数すくないと思う。季節を感じる心の土壌が、俳句や短歌を生み、旬の味覚を育ててきたのだろう。淡い色調風景とほのかな香り漂う春は、地中の虫たちがうごめき始めるように、私たちの体の小さな細胞もウキウキとしている。子供たちの顔の表情や、道ゆく人々の足取りもなぜか軽やかに感じられる。

 私たちは、心と体で感じる季節感に、もっと素直で敏感に反応する生活を大切にしたいと思う。旅は見落としがちな日常の大切さを再発見させてくれる。

深呼吸クラブ・デコレーション