深呼吸クラブ・ヘッドメニュー
 
心のつぶやき


エッセイに関係する写真です

 最近気になる言葉がある。「いらっしゃいませ、こんにちは」

 ファーストフードの店やコンビニに入ると、必ず聞こえてくる言葉。店にどんな人が入ってきても、この言葉がマニュアル通りのイントネーションで流れてくる。なかには、ドアの開閉音だけに反応し、客に背中を見せながら言葉を発する若いアルバイターもいる。全く来客者に対して興味を示さないその言葉は、古い商店街や市場などで交わされる挨拶とは、あきらかに質が異なり無味乾燥だ。感情が全くこもらないこの言葉を聞くと、とたんにその店の商品が色あせて見えてしまう。「アリガトウゴザイマシタ」と言う自動販売機の電子音の方が、機械とわかっているだけまだ納得できる。人間が発する無気質な挨拶ほど、心が薄ら寒くなるものはない。出会った人同士がおこなう最初のコミュニケーションが、挨拶であるはずだからだ。

 しかし、世界には、まだまだ心温まる出会いの挨拶が残っている。北極圏に住むイヌイットの人たちは「イッヒヒヒーッ」と、表情豊かに笑いながら挨拶するという。笑っていること自体が挨拶なんて、これほど素敵なことはない。
 ネパールの挨拶は、手を合掌しながら「ナマステ」という。ただし、お早うからおやすみまですべて「ナマステ」「ナマステ」。こんにちはも、さよならも「ナマステ」「ナマステ」。全て同じ言葉としぐさである。ユニークな慣習だが、ふと思ってみれば、一日に何度も合掌する挨拶は、心が穏やかになり悪くないものである。海外に出ると、私は初めて出会う人との握手を、心の温もり具合を交換する挨拶として大切にしている。握り具合の強さ弱さ、触れた手の大きさや触感、そして触れている時間など、手のひらを通して、さまざまな情報が読み取れる。大きさや触感からは、その人の職業や人生の背景の一端が。力の強弱や触れ方からは、相手との距離感などが、心のつぶやきとなって伝わってくる。

 日常生活での挨拶は、なにも言葉がけやおじぎ、握手、抱擁だけではなく、笑顔の交換であったり、目配せやなにげないしぐさであったりもする。たとえ言葉の通じない海外の僻地でも、気持ちが込められた心のつぶやきは、相手に必ず伝わるものだ。それだけに、挨拶はコンビニエンス(便利)にマニュアル化できるものではないとつくづく思う。

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