深呼吸クラブ・ヘッドメニュー
 
集うことの大切さ


エッセイに関係する写真です

 アジアのバザールには、まだまだ「集う」ことの大切さを感じる場所がある。 ヒマラヤの山中のナムチェバザール。標高三千四百メートルの村では、毎週土曜日にバザール(市)が開かれる。土曜日の朝ともなると、近隣の村々の女性たちはウキウキとしはじめる。一週間に一度だけ、堂々と着飾ることができる日なのだ。いつもは鼻水を垂らした少女でも綺麗に顔を洗っている。熟女たちも山サンゴ石やトルコ石などのアクセサリー選びに余念がない。近隣の村々の老若男女は早朝から、穀物や家で織った布地などを背負い、市へと徒歩で向かう。着飾った女性たちも歌いながら楽しそうに歩いてゆく。まるでお花畑に向かう蝶々の群れのようにも感じる。バザールに到着すると、彼女たちは持ってきた売り物を広場に広げるのだが、あまり売ることには熱心ではなく、もの珍しそうに、行き交う人々を眺めている。

 未婚の女性たちは、自分の晴れ姿を一番誇りたいのだろう。若い男も同じ。道端に並べられた商品よりも、その売り手に多大な関心を寄せている。親戚や友人を見つけては、売買をそっちのけで話し込んでいる人もいる。電話などの通信手段が完備されていないので、歩いて何日もかかる土地に住む知人とさまざまな情報交換もおこなわれる。病気になった人のこと、成人した息子の仕事の話、夫に対するグチの数々など、一週間分の出来事を凝縮した終わりのない会話が続く。夕刻になると一週間の無事を互いに祈りながら、歩いて家路に向かうのである。

  ヒマラヤで開かれるバザールでは、物品とともに他者へのおもいやりの心や若者のほのかな恋心も交換されている。つい最近まで日本でも、このような集いの場は残っていたように思う。夏祭りの夜には新しい恋が芽生えただろうし、長屋の井戸端会議では、おかずのお裾分けや醤油の貸し借りが日常的な風景であった。今や、夜中に若者が意味もなくコンビニの前にたむろし、マンションでは隣のカレーの匂いも漂ってこなくなった。逆に異常に人が集う満員電車や花火見物では、ストレスから犯罪や事故が発生してしまう。

 私たちは、もっと人と人が集うことの大切さを再認識したいと思う。殺伐とした空気だけが漂う集いには、他者をおもいやる心が抜け落ちてしまっている。多くの人が集えば、その同じ数のおもいやりの心も同時に集ってほしい。

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