深呼吸クラブ・ヘッドメニュー
 
タクラマカン砂漠(砂の海に地平線が消えてゆく)


エッセイに関係する映像です

 中国領内のシルクロードは大別すると3つのルートがある。天山北路は天山山脈の北側の草原を通過する。天山山脈南麓のオアシス群を結ぶのは天山南路と呼ばれる。そして3つのルートの中で一番過酷な条件下にあるのが、タクラマカン砂漠の南縁を結ぶ西域南道である。「タクラマカン」という言葉の意訳は、一度足を踏み入れたら二度と出て来れない、ということ。この砂漠のことを「空に飛ぶ鳥なく、地に走獣なし」と昔の旅人は記した。西や南を崑崙山脈やアルティン山脈、北は天山山脈などに囲まれるこの砂漠は、日本の山岳・探検分野の人にとって昔から垂誕の地であった。特に砂漠の東方には、スウェイン・ヘディンの探検で有名な楼蘭やロプ・ノール湖がある。登山や探検行動の源泉であるパイオニア精神を鼓舞された学生時代、「タクラマカン」という言葉は、しっかりと私の心にも楔となって剌さっていた。

 昨年夏、幾度目かのタクラマカン再訪の旅に出掛けてきた。その砂を手にとりながら、初めて砂漠に対峙した1980年代後半のことを思い出していた。その頃の中国西域地方は、現在の経済成長がウソのような時代だった。複雑な許可取得手続きに悩まされた後、カシュガルの町を四輪駆動車で出発した。2週間強で西域南道を走りぬけ、総走行距離2300キロを超す敦煌までの旅だった。ラクダによるキャラバン隊の苦労には及びもつかないが、想像を絶する強烈な自然環境が幾度となく私達の行く手を阻んだ。 しかし同時にその荘厳な大自然は、あえてこの過酷な道を通過する旅人への僥倖を数多く用意してくれていたのだ。

 アルティン山脈を横断中の夕暮れ時。道標としていた轍がいつの間にか消失した。その時、茫然自失の私達の眼前を、野生鹿の集団が疾風怒濤の如く走り抜けていったのだ。砂埃と地鳴りが収まった頃、まるで魔物の住処のような奇岩群が夕闇に浮かび上がってきた。それはまるで冒険映画のクライマックスのようなシーンだった。また満月に近い夜のこと。米蘭(ミーラン)の遺跡に疲れ果てて辿り着いた。月明かりの下で、野晒し状態の遺跡群が淡く仄かに浮かび上がっていた。月の光と遺跡の影は見事なまでのハーモニーを奏でており、栄枯盛衰の歴史に想いを馳せながらの野営を満喫することができた。

 そしてなんといっても烈風に舞う砂塵に巻き込まれた時の記憶は忘れられない。その日の午前中は快晴無風だったが、午後急速に空模様が変化した。烈風が砂の粒子を巻き上げ、灰色のベールとなって進行方向を覆い始めた。砂漠から流れてくる砂は路面にも積もり始め、路肩がしだいに霞みはじめた。それは砂地と道との境が無くなり、道路という言葉が消えてゆく瞬間だった。消えていったのは道路だけではなかった。大気中に溢れ出た砂塵は、空と地面との境界線−すなわち地平線を視界から消失させていった。それからの数分間、我々の車は一切の「枠」というものが見えない空間を移動したのだ。耳にするのは、風の音と車のエンジン音。体が感じるのは、小刻みに揺れる車体の振動のみ。確実に動いているのだが、距離感や速度感、さらには重量感といった「実感」が無くなり、心地いい浮遊感を砂の大海原にて体感できた。

 このように自然が展開する非日常の諸現象は、旅人たちの心象風景に強烈なインパクトを与え、その旅にも彩りを添えてゆく。「一度足を踏み入れたら、二度と出て来れない」と称せられるタクラマカン砂漠。もしかすると、自然現象の奥深い魅力に取り付かれた人が命名した言葉なのかもしれない。

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