深呼吸クラブ・ヘッドメニュー
 
変貌するチベット(私の定点観測地点)


エッセイに関係する映像です

 チベットは今年大きく様変わりの年を迎えている。ご存知のラサまでの「高原鉄道」の開通である。 先日この鉄道に乗車した友人の話しを聞いた。この友人は、毎年夏に1〜2ケ月程度チベット高原を個人的に調査旅行している。その友人の話しである。「通過最高標高が5000m付近である為、鉄道車両のコンバートメント室には酸素吸人口が備えてある」「走行中は意外にも揺れは少なく、また走行時音も静かである」「鉄道乗車客は、漢民族の若者グループが多かった」などなど。そして最後に「チベットヘ旅をするのなら、早い方がいいと思うよ…」と感想を述べていた。毎年チベットを観察している友人の洩らした、そのコメントを聞きながら、私とチベットとの関わりの歴史を振り返っていた。

 それは、京都にある都ホテルでの出来事からはじまる。その年に来日されていたダライ・ラマ14世とスイートルームで個人的に会談をもつという僥倖に恵まれた。 20歳の大学生の時のことである。高校時代から山登りを始めていた私にとって、ヒマラヤやチベットの高峰群は垂涎の地であった。大学に入り山岳部や探検部に所属し、それらの地への文献を読み漁る時期を迎えた。そんな中でチベットの精神的指導者であった、ダライ・ラマ14世の名前は書籍の中に数多く登場していた。「生のダライ・ラマに逢えるかも」というチャンス到来は、来日されたという新聞のべ夕記事を偶然目にしたときだった。それが結果として、人生のターニング・ポイントとなるとは露ほども解らなかった。

 生のダライ・ラマ14世は、重厚で、深遠で、超然とした雰囲気を、体全体に漂わせながらも、どこかお茶目な視線も感じたのである。京都の冬は特に冷え込みが厳しいのであるが、当時20歳の私は、どこか温かい掌に包まれる感じがしていた。俗にいう「マイッタ!」のである。それからの私は、チベットやヒマラヤを「より高み」への目線である望遠レンズだけではなく、「よりワイドに、よりヒューマンに、よりスピリチュアルに」という広角レンズも併せもつようになったのである。それから幾度となくチベットやヒマラヤヘは出かけてきた。 2年前には、日本山岳会100周年記念事業として念願だった「河口慧海師の足跡調査学術隊」へも隊員として参加した。

 ダライ・ラマ14世やチベットやヒマラヤという場所は、私にとって人生のターニング・ポイントの人やエリアであり、さらには世界へ向けた私の広角レンズの定点観測地点でもある。それだけに、前述の友人の旅行後のコメントは複雑な思いがするのである。かつて「太陽の都」と呼ばれたラサは急速に近代化が進み、2年前に街角に立った時、一瞬どこの街かと戸惑った記憶もある。そして今年開通の高原鉄道である。東の方角から人や物、そしてルーツの異なる文化が毎日車両を連ねてラサヘ、そしてシガツェヘ、さらにはチャンタン高原やカイラス山麓へと流れてゆくのであろう。

 「近代化と伝統文化の軋轢」「創造と破壊」「変化と喪失」すべて民族や社会の歴史の通過点ではある。しかし、消化吸収の道筋を今までの数倍のスピードで通過する食物には、人体のどこかに歪みがくるように、変化への順応度に温度差が出ないかと不安でもある。また、個人的には定点観測のリズムも高速化しなければついてゆけないのでは…、とため息まじりに思うのである。(2006年夏記述)

深呼吸クラブ・デコレーション