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神話と伝説の土地・ドルポ(ガイアサプリメントの国ネパール4)


エッセイに関係する映像です

 1 0 0年前の足音を求めて

 20世紀から21世紀にかけて、地球上に「秘境」と呼ばれる場所は加速度的に減少している。 2005年夏、日本山岳会百周年記念事業の一環で、数少ない秘境を訪れる機会を得た。およそ1 0 0年前、一人の日本人僧侶が単身ヒマラヤを越えて禁断の土地・チベットヘ潜入した。「河口慧海」その人である。ムスタンと呼ばれる土地から、8000m峰・ダウラギリの北側の峻険な山腹道をヒマラヤ越えした。その冒険行は「チベット旅行記」となって当時の人々を驚愕させた。その約50年後、同じ西ネパール・ドルポ地域を訪れた、文化人類学者でKJ法の創案者・川喜田二郎氏は帰国後「鳥葬の国」を上程し、ベストセラーになった。 2005年夏、私は先人達の足音を求めて馬上の人となった。

 な〜んにも、変わっとらんで!

 日本出発の3日後くらいには、いきなりの4000mの峠越え…。冷気をいきなり吸い込んだせいか、手先が痺れ始め馬上から崩れるように地面に這い降りたこともある。千尋(いやいや万尋かな?)の谷のような深い峡谷を幾度も越えた。まるで悪魔の喉を通過しているような不気味な斜面も登った。地図上ではなかなか判明できない谷を悪戦苦闘しながら遡行した。地球の終わりかと思われるような、そんな風景が幾度も眼前に展開した…。

 な〜んだ、1 0 0年前、50年前の記述と変わってないじゃん! それに加えて、反政府勢力・マオイストのゲリラ軍団とも対峙した…。河口さん、川喜田さん、ご心配に及びません。 100年という年月は、さほど人間の生活を変えていないこともありますで〜。私は多少複雑な思いで1ケ月を馬上で過ごした。

 1世紀という時間のスパーン

 話は変わるが、昔、ブータン国から広島に来日した僧侶をアテンドしたことがある。彼は言った。「信じられない。原爆で破壊された街と同じ街だとは…、」彼は、ブータンの学校で見た、被爆直後の広島の写真をイメージしながら来日した。ヒマラヤの王国・ブータンでは50年や100年では、風景や人の心の情景にはなんら変化がない生活を送っている。「国民総幸福量」という、GDPなどの数値ではない基準での最高値をはじき出す、ブータンという国から来た人ならではのコメントだと感じた。

 そうなんだ。50年、1 0 0年では世の中そんなに変化しないものなんだ…。戦後の日本というのは、その社会が世界の常識ではなく、特殊で、ある意味人類にとっては実験的な試みなのではないか,と思ったものだ。河口慧海師や川喜田二郎氏の記述を馬上にて思い出しながら私は、「1世紀」という時間のスパーンについて、物思いに耽っていた。

 神話と伝説の世界

 これまでの人生で、地球上のさまざまな土地を訪れた。その多くは、「秘境」や「辺境」と呼ばれる土地だった。21世紀にこんな生活を送っている人たちがいるんだ、とか、それまでに獲得した常識の範囲では、なかなか理解できない人たちやその文化背景があった。市場経済至上主義やひとつの思想信条だけが地球を席巻していないことも確認できた。 秘境や辺境の土地から帰国するたびに、私の脳は見事に「時差ボケ」に陥る。言ってみれば、「価値観」「人生観」「死生観」「幸福感」の時差ボケである。

 日本の、見えない常識の枠に左右されながら、ボーダレスのグローバル時代のリアリティとの狭間で、心のメトロノームが揺れるのだ。とある哲学者が言っている。「日本人はいつからキツネにだまされなくなったのだろう?」 社会のすべてが、合理的な論理で動いてゆき、あやふやで、危うく、霊性を持った世界はすべて拒否されてしまう。人間の体への不思議さが残されているにも関わらず、社会には「不思議」を追求する時間も余裕もない。目を覆いたくなるような悲惨な事件は、河口慧海師や川喜田氏、そして私たちが通過した西ネパール・ドルポでは、1 0 0年前から現在に至るまで決して起きていないのだ。まだまだ神話や伝説の残る社会では人が人間の感情を大切にしながら生きているのだろうか…。それとも、神話や伝説は、その大切さを後世に伝えようとする物語なのだろうか…。確かに、西ネパール・ドルポでは、地形的な景観のみならず、居住する人々の描く、心の風景までもが世紀を越えても、微小な変化のみだった。やれやれ、神話や伝説が形骸化した時代に生きているわれわれは、なにを座標軸に明日を生きていけばいいのだろうか…?

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